今回の記事は簡単に言うと、前回の記事でご紹介したセブ島挙式スタッフの日本滞在中の目標「日本でしか体験できないことを体験して、セブに持ち帰る」をまたも実行しました!という内容です。
日本では徐々に規制が解除され、県をまたいでの移動も自粛要請が解除されました。行動範囲が少しずつ広がっていく中で今回訪れたのが“IWAI OMOTESANDO”。完全なオリジナルウェディングをプロデュースしているCRAZY WEDDINGさんがもつ挙式会場です。
ただ今回は挙式会場そのものを見に行ったのではなく、IWAIで行われたCRAZY WEDDING創設者 山川咲さんのイベントに参加して参りました。
前回に引き続きセブ島挙式・フォトウェディング担当の現地スタッフしげのが書いておりますが、私がウェディングに興味をもったきっかけは山川さんでした。2016年に放送された情熱大陸を見て、一組ずつそれぞれのオリジナルウェディングをプロデュースする姿や、オンリーワンのものを生み出す仕事に強く惹かれたのを覚えています。学生生活を過ごす中で他の選択肢もたくさん知り、語学系のインターンシップでセブ島を訪れるなど、ウェディングとは離れた方向へ進んでいると思っていました。
しかし、インターンシップ終了が近づいて単純に自分が何をしたいか、と考えたときに浮かんだのがウェディング事業に奔走する山川さんの姿でした。結局これか、という感じです。実際にいまウェディングに携わっていて、さらにセブ島の現地スタッフとして働いていることが何だか不思議で、あの時番組を見ていなかったら違う方向へ行っていただろうなと思います。
現在はCRAZY WEDDINGを辞めて独立した創設者の山川咲さん。新型コロナウイルスがきっかけとなり始まった奄美での生活を中心に、山川さんの感じることをアートにした空間がこの“Close Contact”というイベントでした。
会場内では写真や動画、SNSの発信に制限がなく自由に見て、感じて、周りに伝えられる場所となっていました。
一歩足を踏み入れた瞬間から聞こえてきたのは、エキシビションの開催前に収録されたという山川さんのお父さんの声。内容をすべて聞いたわけじゃないけれど、そこで空間が切り替わったような感覚になります。
奥にあるレターボックスの紙を一枚一枚引き出して、写真と言葉を見つめると、写真の笑顔とは矛盾するような部分も。もちろんその写真の一瞬で実際に感じていたことではないかもしれないけれど、見えているところがすべてではない、人間らしさが見えるところでした。
最初の部屋からガーデンに出ると、足元から炭の香りがする煙が広がる演出
奄美から持ち帰ったという炭の奥に焚火の映像が流れる
ドレスの記事に使用されるブライダルサテンにインクジェットで日記をプリント。
スクリーンには奄美での生活や電話のシーンが流され、どこでもつながれる環境とオンラインでは埋めきれない体験を示唆している。
Shopではアーティストの関連作品や、CRAZY WEDDINGを紹介するWEDDING BOOKが販売されています。
すでに書いたように、今回は挙式関連のイベントではなかったため、挙式会場としてのIWAIの姿を見たわけではありません。ただ、実際に足を運んでみて、感じたことはいくつかあります。
到着して外観を見たときは目立った特徴はないように思いました。周りに溶け込んでいるというか、綺麗で大きい家、といった感じでしょうか。
実際に入ってみて、各所で光と影が美しく見えたのが印象に残っています。Close Contactのための演出で照明が暗かった、というだけでなく、挙式会場としてもそとの光が入る部分が制限されていて、だからこそ光と影が際立つのだと思います。
全体的に飾り気はなく、シンプルでスタイリッシュ。コンクリートの壁に無骨さは感じず、なめらかで優しい雰囲気です。
挙式のプロデューサーとしてではなく、一人の人間として内側を見せるアートを発信した今回の“Close Contact”。装飾をしたらどう変化するのか、挙式会場としてのIWAIも見てみたくなりました。
イベント当日には「以前ここで式を挙げました」というご夫婦もいらっしゃっており、完全にCRAZY WEDDINGのファンになっているのだと思いました。セブ島で結婚式やフォトウェディングをサポートする私からすると、式の後に足を運ぶ空間を提供して、お話出来る空間があることが非常に素敵に思えます。もちろんKANONでは東京サロンに挙式後のお客様がいらっしゃることはあるのですが、セブ島現地にいると会えない、気持ちの温度を感じられない、というのが少し悲しいですね…。
実は当日山川さん本人が会場にいらっしゃり、訪れたお客様に声をかけていました。テレビで見ていた人が目の前にいて話している、この不思議な感覚は私だけでなく今まで新郎新婦も感じていたことではないでしょうか。
今は独立しているものの、事業の責任者もプレイヤーとしてお客様と接する、この姿勢が以前からファンを増やし続けている理由の一つなのかもしれません。